大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)134号 決定 1985年6月27日

抗告人

甲野太郎

右代理人弁護士

関静夫

相手方

乙野花子

事件本人

乙野春子

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一抗告人は「原決定を取消し、本件を千葉家庭裁判所に差戻す。」との裁判を求めた。その理由は別紙のとおりである。

二一件記録によると次の事実が認められる。

1  抗告人と相手方とは、昭和五〇年一二月一五日婚姻し、同五二年九月一〇日事件本人(以下単に本人という)をもうけたが、同五五年七月二三日本人の親権者を相手方と定めて協議離婚をするに至り、以来相手方において本人を監護養育してきた。

2  その後、抗告人は相手方に対し本人と面接交渉させるよう求め、相手方としてもそれに応じ、抗告人は四回ほど本人に面接した。その方法は抗告人が本人を連れ出し、二人で自由な時間を過ごすというものであつた。しかし抗告人が相手方の承諾なしに本人を外泊させたりしたため、相手方としては以後の面接交渉を断わるようになつた。そこで抗告人は相手方に対し、昭和五六年三月二〇日本人の親権者を抗告人に変更するよう求める調停申立を、次いで同年七月一〇日本人との面接交渉を求める調停申立を、それぞれ横浜家庭裁判所になした。右二件の事件は併合されてその調停手続が進められたが、同年一〇月二八日、当事者間に(1)本人の親権者、監護権者は従前どおり相手方とする、(2)抗告人は本人と年に四回面接交渉することができるものとし、その面接の日時、場所、方法については相手方の申出に従う、(3)右面接に際しては相手方又は相手方の母親が立会するものとする、との趣旨の調停が成立した。

3  その後右調停での合意に沿つて、抗告人は相手方の住居において二度本人と面接交渉の機会を持つた。しかし相手方としては、その際の抗告人の言動などからして、面接交渉の結果は本人に悪影響を与えるばかりでなく、抗告人と相手方との間に新たな紛争を惹起しかねないとして、昭和五七年八月二日抗告人と本人との面接交渉を全面的に禁止するよう求めて、原審裁判所である千葉家庭裁判所に対し調停を申立てた。

4  右申立を受けた原審裁判所は、八回にわたり調停期日を開き調停委員会による調整を試みる一方、家庭裁判所調査官に命じ、同調査官立会による抗告人と本人との面接交渉の場を設け、また期日間の調整のため各関係者と面接・調査もさせたが、結局当事者間に合意の成立をみることができず、昭和五九年七月一七日の第八回の調停期日において右調停は不成立となり、右事件は審判手続に移行した。そこで、原審は当事者双方を審問するなどさらに審理を重ね、結局昭和六〇年二月二八日(抗告代理人への送達は同年三月一二日)、前記横浜家庭裁判所において成立した調停条項のうち、抗告人と本人との面接交渉に関する部分を取消し、相手方との間に新たな協議が成立するか、これを許す家庭裁判所の調停・審判があるまでの間、一時的に抗告人と本人との面接交渉を禁ずる旨の審判をした(抗告人は全面的に禁止したと主張するが、原審の審判が一時的に禁止したものであることは主文自体から明らかである)。

5  原審が右のような内容の審判をした主たる理由は、抗告人と相手方との間に抗告人が本人と面接交渉することに関し協力体制がなく、また抗告人が本人との面接交渉を求める目的は相手方及びその親族に対しさきの離婚にまつわる憤まんをぶつけるなど本来のそれ以外にあるのではないかと窺われ、このまま前記調停条項どおり面接交渉を続けるにおいては、未成熟子である本人の健全な育成の防げとなる、というところにあるとみられる。

三1 ところで現段階では当事者間に面接交渉を円滑に機能させるための協力体制がなく、このまま抗告人と本人との面接交渉を継続させた場合未成熟子である本人の健全な育成の防げとなるとする原審の右判断は、一件記録、特に二年間にわたる調停審判の経緯、前記調査官の調査結果、抗告人及び相手方各審問の結果などに照らし、これを是認することができる。

(一)  抗告人は、本人に対する純粋の愛情から面接交渉を求めているのであり、当事者間に協力体制ができない原因は一方的に相手方側にあり、また、右のように協力体制ができないため面接交渉権の行使が禁止されるとすると、監護者となつた親が他方に悪感情を持つているような場合には常に他方は子との面接交渉はできない結果となる、などと主張する。

しかし、前認定のとおり、相手方は当初抗告人が本人と面接交渉することを認め、その実現に協力していたのであり、右事実や一件記録によると、当事者間に前記協力体制が作れない原因は、相手方が正当な理由もないのに抗告人に対し悪感情を抱くことに因るものではなく、その多くは抗告人の言動、その性格等にも起因しており、したがつてその責は抗告人も負うべきものと認められる。また、原審判は面接交渉の前提である両親の協力体制の面をやや強調しすぎる嫌いはあるが、要は現段階での抗告人と本人との面接交渉は、総合的にみて本人の健全な生育・幸福の見地から負の要因が大きいと判断しているのであつて、抗告人の前記主張はいずれにしても採用できない。

(二)  次に抗告人は、原審判は本人が面接交渉に拒否的であることをその判断の前提としているところ、前記調停中の面接交渉の場が家庭裁判所の建物内で、しかも関係者が立会するという特異な雰囲気のもとにもうけられたため、本人が自由に振舞えなかつたものであり、本人が拒否的であるとするのは事実誤認である旨主張する。

原審判書によると、右のように「本人が拒否的である」との点も原審判の判断の前提をなしているものと推認されるところ、一件記録によると、原審ないしは原審裁判所の調停委員会が右のように判断したのは面接の場での本人の行動だけから判断したものではなく、右面接に立会した家庭裁判所調査官も右面接の場に種々の制約があることを充分配慮したうえでその趣旨の調査結果を報告していることが認められ、いずれにしても原審の前記判断は正当なものとしてこれを是認することができ、抗告人提出の資料を考慮しても前記判断は左右されず、抗告人の所論は採用できない。

2  その他一件記録を精査しても、原審判を不当なものとして取消すべき事由は見当らない。

四よつて本件抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官小川昭二郎 裁判官鈴木経夫 裁判官佐藤 康)

別 紙

〔抗告理由〕

一 原審判は、事実誤認の結果、法令の適用を誤つた違法があり、取消を免れない。

原審の判断

1(一) 「当事者離婚後、申立人が実家の名古屋に住んでいた」とあるが、事実誤認である。申立人が名古屋に住んでいたのは離婚前である。又、「申立人が横浜に移り住むようになつたころから相手方は申立人に対し、事件本人との面接を申し入れ始めた」とあるが、「横浜」ではなく「船橋」である。

(二) 「何のことわりもなく連れて行つて、泊めてしまうまでになつた」とあるが事実誤認である。断りなく連れていつたことはただの一度もない。必ず申立人に断つたうえで、連れていつたのである。

又、「事件本人の面前で申立人に対し、ことさら申立人側の感情を損うような行動をとつた」とあるが、一方的である。事実は相手方が鈴木宅を訪れドアを開けて入ると、玄関には申立人の他、申立人の弟二人、申立人の母親および鈴木夫妻ら合計六人がずらりと並んでおり、まるで仇敵に対決するが如き形相で相手方を睨みつけ悪口粗言を先ず、申立人側は相手方に対し、浴びせかけてきたのである。相手方はたつた一人で子に面会すべく訪れたのにもかかわらず、この申立人側の態度であり、相手方は驚き、これに反論を加えたのである。そのような緊迫した状況を作りいわばケンカを売つてきたのは、申立人の側である。原審判断はこれを一切捨象し、何もしない申立人側に対して、相手方が一方的に申立人側の感情を損なうような言動をとつたのか如く認定している。事実誤認も甚だしいといわなければならない。

(三) 「申立人や申立人の親族にたいする憤まんを事件本人の面前でぶちまけるため……、気まずい雰囲気が生まれてきた」とあるが、これは全く逆である。申立人側は前記のとおり、必要以上の人数を集めたうえで、仇敵に対座するか如き状況のもと、面接させた結果、気まずい雰囲気が生まれたのである。事実認定は正確にされなければ、正しい判断はできない。

(四) 「両当事者の協力が得られないばかりか、事件本人も面接交渉には拒否的で、……方策を見出すことができず、審判に移行した」とあるが相手方は常に協力してきた。協力しなかつたのは申立人側である。「両当事者」とするは明らかに事実誤認である。しかも、「事件本人も面接交渉には拒否的で」とあるが、裁判所という特殊な雰囲気のもとでは、どうしても事件本人の自然な姿を見ることは出来ないので、公園とか遊園地で面接させ、その面接状況を調査官が見つめる、という方法をとつて欲しいと申し述べたのは相手方の方である。ところが、原審では結局そのような妥当な方法による観察など一度もやらず、そうしておいて原審は「事件本人も面接交渉には拒否的で……」と理論づけているのである。原審の審理不備には甚だしいものがある。

2 「両親が充分、話し合い協力することもできないような状態で」「ただ自己の感情に満足させ」「あるいは相手方に対するいやがらせのため」子との面接を求めるなどの場合には、およそ子の健全な育成・幸福のために考えられた制度の目的と相容れないこと甚だしいということになる。とし原審は面接を禁ずる決定をなした。

先ず、両親が充分に話し合い協力することもできないような状態では子に面接させないとは理解し難い。そうすると、両親のうちの一方が他の一方に対し、悪感情を持つている場合、常に、他の一方は面接を禁止されることになる。子の面接交渉がいやしくも裁判上問題となるときは、常に一方が相手方と協力できない状況にある。それだからこそ裁判になるのである。それにもかかわらず、かかる場合は常に面接を禁ずるのが子の成育幸福のためになるのだとする原審判断は、真の子の健全な成育・幸せとはどのようなものであるかを理解しない判断といわざるを得ない。子は特に幼児期は、母の愛情が必要なのはもちろんであるが、父親の愛情も不可欠である。自分には母だけでなく、立派な父親もいるのだ、しかも自分に会いに来てくれるのだという自覚が、どれほど子の心を力強くさせるか、どれほど子の成育・幸せのために必要であるか、明白である。一方の親が他方を嫌つている。ただそれだけの理由で子の権利を奪うことは許されない。子自身にとつても、父親とあう権利は有するのである。それを一方の親の恣意的感情によつて奪うことは、真の子の幸せが何であるか理解しないものと断言しても決していいすぎではない。

次に「ただ自分の感情を満足させ」「あるいは相手方に対するいやがらせのため」と原審は認定しているが、事実誤認も甚だしい。

相手方は、ただ自分の感情を満足させるために、子に面接を希望しているのではない。事件本人には父もちゃんといるのだ、しかも会いにきてくれるのだ、母と二人きりの母子家庭ではないのだ、そういう心の安らぎと心強さを持たせるために子との面接を希望しているのである。すべては、子の健全な育成・子の幸せのために面接を希望しているのである。それを原審は理解せず、独断と偏見に満ち満ちた甚だしい曲がつた決定をしている。

この原審判断が不当であることは明白である。

二 相手方は、決して自己の感情を満足させるため事件本人との面接交渉を希望しているのではない。子の健全な育成・幸せのためには母が必要であると同時に父も必要である。父の存在は、子に満足感と心強さと勇気さえ与える。父が存在する。その父は私に会いに来てくれる。これほど子にとつて心強いことはないと、思料する。

また、申立人も相手方も互いに独身である。それぞれが再婚し、別々の家庭を築いているものでもなく、子に面接することが家庭破壊につながることもない。

さらに、相手方代理人提出の写真に明らかな如く、事件本人は相手方との面接においては、それこそ生き生きとはしゃぎ喜びに満ち溢れている表情が如実に現れている。子の面接時におけるこの幸せそうな表情を決して抹殺してはならない。

両親の一方の意思で、子の幸せを奪うことは決して許されない。

三 結論

以上述べたとおり、原審判決は子との面接を全面的に禁止したもので、子の幸せの何たるかを理解しない独断と偏見に満ちた不当・違法な判断であるので取消を免れない。

相手方はひたすら子の幸せ、子の健全な成長を望んで子との面接を希望しているのである。この相手方の真剣な態度を正確に汲みとつて頂いたうえ、正しい判断を求めるため、相手方は本抗告に及んだ次第である。

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